3年前の3月11日(金)14時46分、僕は朝のラジオの生放送を終えて帰宅し、くつろぎながらテレビを見ていたところに地震。最初は「あ、地震だ!」くらいの気持ちが徐々に激しさを増す揺れに、サッシを開け食器戸棚や本棚を支えに行って、揺れのおさまりを待ったのです。
その後はあちらこちらに連絡。近所で一人暮らしをしていた大学生の姪っ子が、揺れによって動いてしまった冷蔵庫によって部屋のドアが開かなくなり閉じ込められてしまった
との情報。不動産屋さんに行くも誰も合鍵を持っていなかったので、結局鍵屋さんを呼んで強制的に開けて救出。
その後は一人暮らす母のもとへ。既にこの時点で電話はほとんど通じなくなっており、直接行って安否を確かめた方が早かったのです。そして母の無事を確認。
そして我が家の近くに仕事に来ていた事務所の後輩とマネージャーが帰宅出来なくなってしまったということでピックアップしに。地元の人間ならではの裏道を通りまくったので、大渋滞に巻き込まれることはなかったものの、それでもかなりの時間を要しました。
電話もメールもほぼ駄目になった携帯電話は、ひっきりなしに緊急地震速報がなり響き、イライラと焦りとで混沌とした精神状態だった記憶があります。
その後、街では物資が不足したり、ガソリンスタンドにものすごい行列ができたり、電気が止まって交差点におまわりさんが立っていたり、臨番停電があったり、ラジオ局のビルのエレベーターが使えなくなって9Fまで歩いたり、しばらくは仕事もままならなかったり。
とは言え津波など、ダイレクトに被災された東北の皆さんに比べたらどうってことはないのでしょう。
夏になって訪れた仙台。近くの閖上地区の、全くもって何もなくなってしまった様と、まるで北京オリンピックで“鳥の巣”と呼ばれたスタジアムのような形をした瓦礫の山々を見たときには何も言葉が見つかりませんでした。
被災者の方に「頑張って下さい」という言葉も偽善めいた気がしてとても口にはできない感じでした。
年齢的なものもあるのか、あれ以来何だか涙もろくなった気がします。
特に東北の子どもたちが真摯に素直に“生きている”姿を見るとイチコロです。
それに比べて今自分はどう生きているのか?今日まで何ができたのか、今日から何ができるのか、何をしたいのか。年齢とともに様々な現実がストレスやプレッシャーをかけてもきます。
でも「生きてるだけでもうけもん」という言葉がありますが、もしかしたらそれが基本なのかもしれませんね。
3年前、「unbalance」というオリジナルアルバムと、松井五郎さんプロデュースの「風のよせがき」というCDを出しました。
「unbalance」のジャケットは、震災前日3/10に東京タワーで撮影しました。音源の方は停電など様々な都市機能がうまくいっていない中での作業でした。
「風のよせがき」は震災復興支援というテーマで、多くのアーティストが参加した作品。僕は「君は生きている」という楽曲を歌いました。
間もなく14時46分。亡くなられた方のご冥福を心から祈り、今自分は生きているんだということを改めて考えたいと思います。