
「一番好きなウルトラマンは?」と聞かれると、迷わずに「ウルトラセブン!」と答えてしまう。もちろんリアルタイムで見ていたわけではなく、再放送で見ていたわけだが、最初の「ウルトラマン」に比べるとちょっと暗くて重い雰囲気のある作品だったことは、子どもながらに感じていたように思う。
それでも眼鏡を見つけては「ジュワッ!」とウルトラアイに見立てて変身ポーズをしたり、額に指をあててエメリウム光線の格好をしたものである。
ウルトラセブンの大半の作品の脚本を担当したのは、金城哲夫さんという方。
金城さんは沖縄出身で、実はウルトラセブンという作品にはこの沖縄のことがところどころに投影されていると言われている。「アンドロイド0指令」というエピソードで出てくるチブル星人のチブルとは、沖縄の方言で頭を意味するそうだ。
とまぁ、そんなレベルの話ではなく、もっと深い。
ウルトラセブンのテーマは「侵略者から地球を守る」ということだった。なので出てくる敵の大半は怪獣ではなく地球侵略をたくらむ宇宙人で、地球を守るべくウルトラ警備隊やウルトラセブンが戦うのだ。
実はこれは沖縄の歴史と通じているらしい。ウルトラセブン放送時(1968年)、沖縄はアメリカの占領下にあってお金もドルが使われていた。(沖縄返還は1972年)
そもそもが琉球という国もあり、独自の文化や風習、言葉もあるわけだから、本土復帰とかという言い方もどうなのか?という見方もあると思う。
そういった意味で長年に渡ってとにかく沖縄は「どの国のものか?」という問題にさらされてきたと言っていいのだろう。そういった事を金城さんはウルトラセブンという作品に投影していたと言われている。
セブンのエピソードの中で2つ、僕は大変印象深いものがある。
1つは「超兵器R1号」。
侵略者対策として、防衛軍はR1号という惑星を破壊出来るミサイルを作る。それを先に打ってしまえば侵略者は地球に手を出さないだろうというのだ。
そして実験として、生命がいないギエロン星にR1号を発射。実験は成功に見えたが、実はそこにギエロン星獣と言われる怪獣がいて、怒って地球に攻めてくるのだ。セブンは悩みながらも結局はアイスラッガーで喉元を搔き切って倒す。
そしてセブンであるモロボシダンは開発者に「これを上回る兵器を作られたらどうするんですか?」と問うと、「もっと強力なのを作ればいい」との返事が返ってくる。「それは血を吐きながら続けるマラソンですよ…。」と答える。
このエピソードにはベトナム戦争へのアンチテーゼが込められていると言われている。
もう一つは「ノンマルトの使者」。
海底に住んで基地を建設し、地上の人間を攻撃しようとするノンマルトと呼ばれる生命体が発見される。ところがそもそも地球はノンマルトのもので、今いる人類は後からやって来てノンマルトを追い出し、やむなくノンマルトは海底に逃げたというのだ。
セブンはノンマルトがあやつる怪獣ガイロスを倒し、ウルトラ警備隊はノンマルトの基地を完全破壊して「我々の勝利だ!」と歓喜の声をあげる。しかしセブンは地球にやってくる前に、地球にいるのはノンマルトだという話を聞いていたことを思い出し、これ以降ずっと疑問を抱えることになる。
しかし結局この問題は真実が明かされることなくウルトラセブンは終了し、また金城さんもその後円谷プロダクションを辞めて1976年に亡くなってしまうのだ。
ただ、このエピソードはまさに沖縄と本土やアメリカとの関係を投影しているような気がする。
ところが平成になってこの続編が作られる。
ノンマルトの生き残りという女性が現れ、地球人を断罪しようする。
彼女の主張ではノンマルトがもともとの地球人で、現在の地球人は侵略者だったと言う。
実はそれを示す証拠をすでに地球防衛軍は持っていてひた隠しにしていたため、ウルトラ警備隊隊長はその事実を全宇宙に知らせるべきだと主張。押し問答している間にノンマルトは怪獣を使って攻撃を始める。
ウルトラセブンは侵略者からその星を守るのが使命であって、そもそも侵略者であった現地球人を守ることは大きな矛盾になってしまう。そこで葛藤するも、どんな仕打ちをしようがもうノンマルトは戻らないわけで、「なぜ許せない?これ以上力を行使するなら、私は地球人のために戦う!」と意を決して怪獣を倒し、自分は今の地球人が大好きで、それを守り抜いたことの満足感を得ていると言い残し、その後侵略者を助けた罪で馬の首暗黒星雲と呼ばれるところで囚われの身となる。
一方地球では全宇宙に今の地球人は侵略者だったという歴史を公開し、そうすることでこの星に留まることを許してもらおうというストーリーだ。
終戦から70年。沖縄では約20万人の方が亡くなり、そのうち9万人強が一般人だったと言う。
そして逃げ惑う人々の足下にはいくつもの遺体が転がり、川の水はウジだらけ、生き続けることより死んだ方がラクだと思う程、そして地獄というのはこういうことではないかと思ったと言う。
安倍総理は戦後70年談話で「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。
僕ももうそう言った意味では先の世代に入っているのかもしれない。ただかつての日本がどんな過った判断や行動を起こし、どんな歴史を刻んだのかは未来永劫忘れてはならないし、必ず伝えていかなくてはならないと思っている。その事を考えなくてはいけないと思っている。
そして何をしていくべきか、それは身近な人を思いやるという小さな領域から始まることなのかもしれないが、常に考えていないといけないと思う。
改めて戦争で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、平和な世の中を作る日本人、地球人の一人であらんと誓います。